自分と他者の自由はトレードオフ
「自由」という言葉を聞くと、どこまでも広がる青空のような、制限のないイメージが浮かびます。 でも、実際の暮らしの中で「自由」を行使しようとすると、意外とすぐ隣の人とぶつかってしまうことに気づきます。
例えば、私がカフェで大好きな音楽をスピーカーで流す自由を満喫したとしましょう。 その瞬間、隣の席で静かに読書を楽しみたい人の自由は、私のメロディによって書き換えられてしまいます。 あるいは、私が「明日は絶対にこの時間に会議をしたい!」と自由な意思を通せば、その時間は誰かの「自由に使えるはずだった時間」を拘束することになります。
こうして考えると、自由とは無限に広がる何かではなく、お互いに譲り合ったり奪い合ったりしている「有限な共有スペース」のようなものかもしれません。 「私の自由」を100%に広げようとすれば、どうしても「誰かの自由」がその分だけ削られてしまう。 このトレードオフの構造こそが、人間関係や社会のちょっとした窮屈さの正体ではないでしょうか。
もちろん、誰にも邪魔されない真空地帯なら完全な自由が得られるかもしれません。 けれど、そこには自分の自由を面白がってくれる他者も、新しい刺激をくれるノイズも存在しません。 私たちは、自分の自由を少しだけ差し出し、相手の自由を少しだけ受け入れる。その絶妙なバランスの中で、不自由さを楽しみながら共生している。 そんな風に考えると、他者との境界線も、少しだけ愛おしいものに見えてくる気がします。